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称念寺(稱念寺・しょうねんじ)は、奈良県橿原市今井町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は今井山。本尊は阿弥陀如来。今井御坊とも称される。大和五ヶ所御坊、十六大坊の1つで中本山に列する。 ==歴史== 河瀬権八郎兵部尉宗綱が〔先祖は近江国犬上郡、河瀬城主の一族。浅井長政の家臣で、浅井家が織田信長に敗北を喫した後、得度し河瀬兵部丞豊寿となり、豊臣政権時に今井兵部卿と改める。〕石山本願寺の顕如上人から寺号を得て、今井郷に念仏道場を建てたことに始まる。永禄年間(1558年~1570年)、川井長左衞門正冬〔徳川政権時に今西與次兵衞正冬と改める〕と共に周辺に堀と土塁を形成し寺内町の体裁を整え、御坊(今井山)を開いた。なお、河瀬宗綱、富綱父子は1575年(天正3年)から1582年(天正10年)まで今井郷には居らず信長の死後、1583年(天正11年)に復帰している。豊臣秀吉政権下では手厚く庇護され、河瀬姓から今井姓に改め武士と僧侶の身分を持ち、秀吉の吉野花見の際には「兵部茶屋屋敷」を建てて秀吉を招いている。道場から「称念寺」になったのは1600年(慶長5年)頃とされる〔『親鸞上人絵伝』(称念寺蔵)〕。1679年(延宝7年)、幕府によって郷中並とされ武士の身分を返上する。 1877年(明治10年)、明治天皇行幸の行在所となった折りに西郷隆盛挙兵(西南戦争)の一報が入ったという逸話がある。 寺の所在する寺内町の橿原市今井町は1993年(平成5年)、重要伝統的建造物群保存地区として選定された。称念寺本堂は2002年(平成14年)5月23日、浄土真宗寺院の本堂としては本山の本願寺以外で初めて国の重要文化財に指定された。 1998年(平成10年)、本堂が台風の被害を受け補強工事を施したものの建物自体の経年劣化が著しく、2010年(平成22年)4月から2019年(平成31年)12月まで解体修理を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「称念寺 (橿原市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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